【岡山デニムの歴史】高品質デニムはこうして生まれた!

デニム発祥とクオリティ
デニムと街

岡山県井原市。
この街は、デニムの生地として世界中のジーニストに広く知られています。
今回はこの街の歴史を紐解きながら、デニムと街の関係、そして高い評価を得ているその品質についてご紹介します。

岡山デニム発祥の歴史

デニムの歴史

時は、今から約400年前の戦国時代。
岡山の戦国武将、宇喜多秀家(うきた・ひでいえ)による大規模な干拓が行われました。
干拓とは浅い海に囲いをして水抜きして陸地にすることであり、干拓の目的は岡山城・城下町普請と同時に、農地確保のためでした。

しかし、干拓によって出来た地は塩分が抜けるまでの間、田畑には適しません。
そこで江戸時代に入った頃には、塩分に強い、綿花の栽培が盛んに行われるようになりました。

その後は江戸時代の綿花栽培をルーツとして岡山県の繊維産業は発展し、大正〜昭和時代の頃には織機を導入した織物会社によって厚地藍染の綿織物が大量に生産されるようになりました。

裏白

その中の一つに「裏白」と呼ばれる、表面が藍色・裏面が白色の厚地織物があり、これが後に「デニム」と呼ばれるアイテムになっていきます。

1970年代には本格的なデニム生地が日本でも作られるようになり、中でも岡山県井原市は国内生産の70%を占めるデニムの聖地へと成長していきました。

デニムの聖地

高品質デニムの魅力

職人による染めや織物の確かで繊細な技術と新しい付加価値や可能性を追求する多大な努力があってこそ、逸品と呼ぶに相応しい岡山デニムが存在します。

高品質デニムの魅力

藍染やセルビッチの技術はもちろんのこと、井原地区で作られる現在のデニムは、セルヴィッチデニムに限らず、ジャガードなどの柄物やシルクやレーヨンを使用したもの、合成繊維を組み合わせたストレッチデニム、温感やクール体感やなど機能性を付加したデニム、原料(オーガニックコットンなど)や染料(草木染めなど)にこだわったものなど、デニムの無限の可能性を追求し続けています。

色合い・色落ち

かっこいいジーンズに必要なもの。
それは良質な材料や美しい折り目はもちろん、インディゴ(藍)による色合いや、ヒゲやアタリと呼ばれる色落ちです。

職人が手間暇を惜しまず作り出す藍染めデニムの特徴は、天然藍ならではの美しい青。
そして時を重ねるほどに醸し出される深い味わいです。
また、糸を染める際、わざと中側を染めずに白く残す「芯白」と呼ばれる染色技術は、海外でも高く評価されています。

岡山・徳島・広島の伝統的技術をデニムに融合!

岡山・徳島・広島の伝統的技術をデニムに融合!

瀬戸内海を挟んだ徳島県の伝統工芸「藍染」。
隣県、広島県の伝統工芸「絣(かすり)」。
岡山県から近い徳島県と広島県が良質なデニムを作るために必要な技術を伝統的に持っていました。
藍染の技術はデニムのフィニッシュ工程である染め・洗い加工に応用されデニムの特殊な染めが可能になりました。
「かすり」という技術はダメージ加工、ヴィンテージ加工などに応用され、デニムに高い付加価値を与えました。
岡山デニムを語る時、まず忘れてはいけないのがクオリティへのこだわりです。
江戸時代から綿を中心とする繊維産業で栄えてきた岡山。
受け継がれる伝統の技を大切にしながら、常に新しい技術の開発と高品質なデニムが作られています。

岡山デニムとは、単に岡山で生産されたデニムというだけではありません。
染め・織り・縫製、すべての製造工程においてクオリティにこだわり、岡山の職人の手によって生み出されるデニムこそ、本物の岡山デニムと言えるのです。

デニム加工について

世界の岡山デニム

世界の岡山デニム

インディゴの染色の歴史からはじまり、生地作りから縫製、加工にいたるまで集結している岡山県井原市。
世界が認める高品質デニムを生み出す技術があり、世界中のジーニストはもちろん。世界のトップブランドからも一目置かれる存在になっています。
工程ごとに専門の工場がありそれぞれが連携することで、妥協を許さず高品質で安定した製品づくりが可能になっています。

中でも、糸を染める際、わざと中側を染めずに白く残す「芯白」と呼ばれる染色技術は、海外でも高く評価されています。

いかがだったでしょうか?
岡山デニムの歴史とその品質についてご紹介いたしました。
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国産デニムを高クオリティ、高コスパで手にとっていただけるのはRipo trenta anniの大きな魅力です。
ぜひ一度手にとって、その品質の良さを確かめてみてください。